2007年08月10日

焼き場に立つ少年

焼き場に立つ少年

1945年9月―佐世保から長崎に入った私は
小高い丘の上から下を眺めていました。
10歳くらいの少年が歩いて来るのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられます。
しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちに、
5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男たちがおもむろに近づき、
ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。
この時私は、背中の幼子がすでに死んでいるのに
初めて気づいたのです。
(中略)
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆいほどの炎がさっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、
直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に
がにじんでいるのに気がついたのは。
少年があまりきつく唇を噛みしめているため、
唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。


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ニックネーム kengg at 12:56| 焼き場に立つ少年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

焼き場に立つ少年 写真

焼き場に立つ少年 写真


 久しくこれほど衝撃的な写真は見たことがありませんでした。
 新聞報道記事に添えられたものですが、涙が出て最後まで一気に読むことが出来ないほどでした。

記事の内容を要約すると
 <米国従軍カメラマン、ジョー・オダネルさん(81歳)は海兵隊と佐世保に上陸し、原爆投下を受けた長崎や空襲を受けた博多の街を約7ヶ月撮影して歩きました。
 日本の惨状に衝撃を受けた氏は、無数のネガをトランクに封印したまま
だったのですが、退職を機にプリントを始めました。
 この詳細をドキュメンタリー番組としてBS-1で放映するに当たって、長崎出身のプロデューサーのすすめで03年秋、長崎や福岡の焼け野原で出会った子供たちとの再会を期した旅のため来日しました。>

 番組として放映された一枚の写真は、長崎で地面に穴を掘っただけの火葬場で会った直立不動の少年の写真です。
 背中の幼い弟の亡がらを、荼毘に付す順番を歯を食いしばって待っている情景です。
 「慰めてやりたかったが、思いとどまった。彼が泣き崩れてしまうだろうと思ったから」とオダネルさん。
 再会を待ち望んだ「焼き場に立つ少年」は消息がわからなかったのですが、探し当てた少年もあったと伝えています。

 写真の少年は私とほとんど同じ年格好に見え、恐らく両親をも失ったな状況下で、たった一人最後まで肌を触れ、本来ならまだまだ生き長らえたであろう弟への無念さと愛情溢れるカットは、によるの軽さを訴えています。
 写真では既に、少年のはだしの素足には浮腫みが感じられ、あるいは本人も重大なを受けて、このあと弟と同じ運命に走ったかとも思い廻らせ、更に涙が留まりません。

 古希を迎えられた私としては
「本人の無事であることを祈る」
 と言う平凡な言葉しか思い当たらないのですが・・・・表現するには充分過ぎる1枚でしょう。





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